家を決めた
住む家を決めた。
まだ退去してないので内見もしてないけど、決めた。カンと勢いで!わたしは何となく選んだものであまり失敗したことはない。
決めては、メイン部屋にある2つの窓と、脱衣所があるとこ、何よりも、駅に近いこと!
決めたらもう肩の荷がすっかり下りて、とてもスッキリした。家探しは面倒で気も滅入るけど、終わりが来れば楽しいものだ。
なんどでも家探ししたい。
好きな音楽がある限り、好きな小説がある限り、好きな人がいる限り、ゾンビの血を吸ってまで生きる意味があるのだろう。
“Only Lovers Left Alive”
「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ」
/ジム・ジャームッシュ
長く生きれば生きるほど、人は孤独を知るのだろう。何世紀もの時を生きてきた彼らからただようじっとりとした寂しさが、ポーティスヘッドの音楽のように終始空気を包み込む。
アダムとイヴ(なんてストレートな名前)が映画の中で見せる、音楽や小説を愛でる仕草がとても丁寧で彼らの情熱がオフビートにじっとり描かれる。
彼らが劇中しきりに「ゾンビ」と呼んで忌み嫌うのは単に「人間」を指すのではなく、そういう文化をろくに鑑賞せずただフラフラと生きてる人たちのことを言うのだろう。彼らはゾンビに属さない「人間」が作った楽器や本をこよなく愛している。何百年も生きてきた彼らにとって、「生きる」ことは並大抵のことじゃなく、その長い間に色んな意味を継ぎ足し、血を飲み続けるのだろう。それが本作では文化的な歴史、これまで積み重ねられてきたアーカイブへのリスペクトといったものに意味づけられている。ラストショットは少しコミカルだけど、ものすごい生命力に溢れている。息を吸って吐いているだけのお前ら、もがいて逃げる情熱を見せてくれ!飲まれるな、生きろ!!奮い立たせられる。
実はそれってジム・ジャームッシュの映画にいつも表れる一貫したテーマでもあって、例えヴァンパイアものでも彼の映画であることに変わりないというのが本当に良くて好きになっちゃうんだ。真上から捉えるショット、チラつく日本の影、彼の好きなものを詰め込んだみたいな作風がこんなに素敵に見えるのはジム・ジャームッシュだからこそなんだろう。かっこいいね、永遠にかっこいい。
これをきくとこの映画を思い出す曲。劇中で流れてたと勘違いしたほどにこの映画の雰囲気に合ってて好きな曲。
Glory Box / ポーティスヘッド
https://itunes.apple.com/jp/album/glory-box/id14716026?i=14716060
ちなみにライブ版でタバコ吸いながら歌う姿がかっこよすぎて死にそうということも書き加えておこう。
明日には忘れてしまうような会話を、人は毎日繰り返している
"Coffee And Cigaretts”
/ジム・ジャームッシュ
コーヒーとタバコを嗜む人々の些細なオムニバスの会話劇。特別な話をしているわけではない。起承転結を大事にしてる映画なら、きっと想像の中に留めるだけの、映像にさえならないパートだろう。
それでもこれは、街で人が生きるのに最も身近な経験だ。街の平和のために命がけで戦うバットマンだって、コーヒーにシュガーを入れてザラついたコップの底をスプーンでかき回す何でもない些細な昼下がりがあるはずだ。そう、大抵の人生は平凡だ、毎日同じ様な時間を過ごし、たかが睡眠時間に一喜一憂する。特別なことや映画みたいなド派手でロマンチックな展開は起こらない。
それでも人は、明日には忘れてしまうような会話を繰り返す。そして実は会話だけじゃなくてコーヒーカップの下に型取られる丸いシミについて考えたり、目の前にいる人の髪を触る仕草を気にしたりしている。そんな時間のことを言葉にしたのが詩で、音に乗せて唄えば歌になる。伏線にも回収されない会話や出来事が生活を彩り、人生はどんどん重厚になっていく。そう、これもまたジム・ジャームッシュの映画なのだ。
かもめ食堂
かもめ食堂を見た。
旅行でヘルシンキへ行くことになったので久しぶりにこの映画を見た。私にとって「フィンランド」といってまず思いつく映画はこの「かもめ食堂」だ。
「かもめ食堂」のロケエピソードが語られる片桐はいりの「わたしのマトカ」というエッセイによれば、フィンランドで作られる映画は年にたったの20本ほどであるという。どおりでフィンランド映画で検索しても全然出てこないわけだ。最近でいうと「365日のシンプルライフ」や「アングリーバード」の映画版なんかはフィンランド映画だ。でもやはり有名なのはアキ・カウリスマキ監督の作品だろう。静かで重い人々の雰囲気がいつもただよう彼の作品が実はフィンランドの人々の様子を切り取っているのかもしれない。
そしてこの「かもめ食堂」はあくまでも日本映画。ロケは全てフィンランドで行われたらしいけど、描かれているのは日本人が思い描く「フィンランドっぽさ」。というか、今フィンランドと言って日本人がイメージするもの(「マリメッコ」「鮮やかな色」「港のマーケット」「穏やかな町並み」「ゆったりした雰囲気」「のんびりした人々」など)は実はこの映画によって作り上げられたんじゃないかと思う。そのくらい、女子向けガイドブックにのっているフィンランド像と「かもめ食堂」のそれは似ている。
そして荻上直子作品ではよくあることだけど、現実的な部分(経済的に大丈夫?やっていけんの?とか)は全く考えなくて良い(むしろ考えるな)完全なるファンタジー映画であるということを念頭に置いてみなければ楽しめないだろう。サチエの経営するかもめ食堂は初めの1ヶ月一人も客が来なかったようだし、どこに収入源があるのかは不明だし、みどりさんも居候しているけど収入があるわけでもない。完全にやっていけない人間たちの生活だけどそれでも成り立っているというところには目を瞑らなければならない。
それでも私はこの映画のことを手放しに「つまらない」とは言い切れない。それは完璧なまでに作られた憧れのヘルシンキ像があるからだろう。
もたいまさこ演じるまさこは「荷物が出てこない」と言って登場するのだけど、これがまあ、もたいまさこが元から持っている独特の雰囲気も相まってかなりミステリアスなおばさん感がでている。港でかもめに「私の荷物はどこですか」って話しかけているときは「こいつやばいやつ」感が出すぎている。それから、やっと荷物が戻ってきてホテルで中を開けてみると消えたキノコがぎっしり詰まっているという超やばいシーンがある(なぜかギラギラ光っている)。そして、そのことを航空会社かなんかに電話するのだけど、
「確かに私の荷物に間違い無いみたいなんですけど、なんだか…違うんです」
とか言っても相手困るだけだろう!係りの人も暇じゃないんだからさあ。とか思ってしまうし、しかもそのあと近寄ってきた老人に無言で猫を渡されるというシーンはおもわず「いやどんなメッセージ性やねん!!?!??」と突っ込んでしまう。
でも改めてもたいまさこという女優はなんだかすごいということを感じた。彼女はまず姿勢が素晴らしい。背筋が伸びているし、首が座っていて、凛として落ち着いた女性という雰囲気が身体から出てきていてすごい。彼女が着ている服や持ち物が素敵に見えるのはその佇まいからくるものなのだろう。あの姿勢のよさを見習いたい。背中で語るというのはこのことか。
片桐はいり演じるみどりというの役は映画にユーモアとしてのスパイスみたいになっている。これがなんというか…一言で言えば「偏差値が低め」のキャラクター。映画においてキャラクターの偏差値を下げるということは見ている人の共感を得やすいことからよくあることだと思うけど確かにみどりさんは可愛らしい。
例えば、もたいまさこが山に行ってキノコ狩りをしたけど帰ってくる間にいつの間にか消えてしまったという世にも奇妙な話をしているのにみどりさんは「へえ・・・」と一言。さらに、「ご注文はいかがなさいます?」と何事もなかったかのように続ける。お前はサイコパスか?そして、サチヨのおにぎりの良い話(母を早くに亡くし、父親がおにぎりを作ってくれたという話)を聞けばわかりやすく涙ぐんだり。そもそも世界地図を適当に指差してフィンランドに来たけど迷子になったから本屋にとりあえず入ったとかいうエピソードもすごいバカっぽいよなあ。それから変な柄のTシャツを色違いで持っていたりもして。トンミー・ヒルトネンのことをいつも「ねえトンミー・ヒルトネン」とフルネームでよぶところもそう。
とにかく、能天気そうな人だけどそんな彼女もどうやら色々抱えてフィンランドへやってきたようではある。でもそこが掘り下げられることはなかったな。
小林聡美は一向に本音を語らない。店を始めた理由、フィンランドを選んだ理由、何に関しても聞かれるたびに違うことを言ったりその場で考えたことを言っていたり、一番謎めいている。彼女はなぜフィンランドを選んだのだろうか。なんとなくここならやっていける気がした、という言葉に全てがるような気もする。
たかが10分、されど10分
映画『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』
10ミニッツ・オールダーは、15人の監督が10分間で“時間”をテーマに撮影・制作したコンピレーションフィルム。
チェコ映画について調べていたときにたまたま見つけた。10分だから難解で地味な映像であったとしても気兼ねなく見れるし、「時間」というテーマも面白い。なによりジム・ジャームッシュとアキ・カウリスマキが参加しているということが見なくてはならぬという意欲をかき立てた。
ツタヤに行ってみるとDVDパッケージが思いもよらず派手だった。
ビビットなピンク地の表紙の裏には「映画至上空前絶後!超巨匠監督15人による比類無き、究極のコンピレーション・ムービー!」とある。10何年前の若手お笑いライブの広告みたいにやたらテンションが高くて、映画界のバブル?的な空気を感じた。
そして早速カウリスマキとジャームッシュが収録されている「RED」版を見た。
REDには7人の監督による7本の作品が収録されている。これには「人生のメビウス」
(The Trumpet)という副題が付いている。
トランペットが邦題で人生のメビウスとなるのは何故だ?メビウスって人の名前?ウルトラマン?
見終えた感想は、たったの10分、されど10分。
10分という時間でこれだけのことが表現できるのか・・!
特に印象に残った三作品
◉アキ・カウリスマキ「結婚は10分で決める」
マルック・ペルトラという俳優は、『かもめ食堂』に出てくる。私にとって彼はカウリスマキの『過去のない男』よりも『かもめ食堂』にでてくるおじさんなのだ。
『かもめ食堂』ではお茶目な顔を見せた彼であるが、カウリスマキの作品となると無表情を極める。カウリスマキ監督は彼に演技について「左眉だけなら動かしてもいい」と指導したらしい。「結婚」という人生の節目に立ちながらもはや左眉さえもビクともしない中年男女。向かうはシベリア、フィンランドから?こないだヘルシンキに行ったけど、カウリスマキみたいな不穏な空気があの頃あったのだろうか。色合いがビビットで時計が可愛らしい。そしてここから『過去のない男』に続く?らしい。見たい。
この作品が一番すごいと思った。たったの10分に現在・過去・未来・生・死・日常…全てが詰め込まれていた。ラストのナチス国境閉鎖の新聞記事に水が滲むカットは、未来への不穏を予感させる余韻を残してる。
現在・過去・未来・生・死・日常を表すイメージがリズミカルに映し出され、常に目を奪われていた。すやすやと眠る赤ん坊に滲む真っ赤(モノクロだけど鮮明)な血、滲んでいくのと並行して描かれるそれぞれの日常、幸せな家族写真、戦争の影…
「ライフライン」は赤ん坊の生死の境界線であると同時に、人間の絶え間なく繰り返される日常という時間の流れといった横の大きな軸をも感じさせる。
すごいな、されど10分。
◉ジム・ジャームッシュ「女優の休憩時間」
これは女優の10分間の休憩時間をただ描いたもの。特に何が起こるわけでもない。
彼女はラジカセでCDを流し、タバコに火をつけ、ただ友達と電話をしている。たったの10分の休憩中であるにもかかわらず、入れ替わりでせわしなくやってくるスタッフに、彼女は呆れるでもなくただ指示に従う。何かもう、全てに無関心で上の空といった感じだ。明らかに「休憩」できていない状況に対して彼女はひとかけらの抵抗心も持たないのだろうか。
従順なようでいてそうでもない。彼女の人間味は実はたくさん映し出されている。「脱がないでね」と言われたそばから靴を脱いだり、運ばれてきた食事のプレートにタバコを押し付けたり。彼女が女優としてこの先どのような人生を歩んでいくのか、未来を想像してしまうような広がりを見せる10分だった。
それから、作品と作品をつなぐときに流れるトランペットの音も良い
川の流れが毎回映し出されるのもとてもいい。水が流れていく様子は時間の流れを連想させる。川は人生だ。
とても贅沢な作品だと思う。
映画 ギター弾きの恋
ギター弾きの恋 / ウディ・アレン
色合いが好きなシーン。
このエリック、本当にどうしようもないやつだといらいらもするのだけど、ショーンペンだからこそなのかな、憎めなくてむしろ愛おしいし、振られた時なんて可哀想で仕方なかった。
そしてギターをぶっ壊すシーンはなんとも言えぬエモーション。 これは私の話だけど、保育園に通ってた時に頑張って書いた絵を母親に見てもらえなくて、その悲しさやら悔しさやら何やらで意味わかんないくらいモヤモヤして、その絵をビリビリに破いて泣いたことがある。その後母親がビリビリになった絵をセロテープで修復してるのを見てなんか後悔することになるんだけど。ただ、その時の悲しさ、悔しさ、とも言い固めることのできない蟠り、どうしようもならない寂しさは、大好きなギターをぶち壊すショーンペンそのものだ。人間って本当にめんどくさくてかわいいな。